コラム
リセット
この頃は、朝晩だけでなく日中にも秋を感じることが増えてきましたね。
私たちは、9月に事務所の引っ越しを行いました。それはとても大変なことでした。長く勤める人も、今年入社した人も、みんな一緒になって何かに戦いを挑んでいるかのようでした。パソコンや、電子機器、使用中のファイル。中でも一番は旧事務所を使い始めた昭和63年から蓄積されたモノをすべて分類・搬出する、必要なモノとそうでないモノに分ける作業です。ここが本当に大変でした。時間も限られる中、気力でなんとか乗り切った感じでした。文句を言わず、黙々と作業をしてくれたスタッフに感謝です。
そして今、おかげ様で引っ越しが終わり新事務所で快適に過ごすことができています。必要に迫られ私たちは事務所内のモノたちを整理することができたのです。必要なものがすぐ手に取れる、見やすい位置にある。たったそれだけなのに、なんて快適なのでしょう。今まで手をつけられなかったことが不思議なくらいです。
秋が来たら木々が葉っぱを落とすように、私たちは引っ越しでモノを手放しリセットしました。これから養分をためて新芽を吹くことができるよう、お客さまや携わる方々はもちろん、スタッフも笑顔になってもらえるよう精進してまいります。
はじまりました
こんにちは。
もう窓を開けて寝るのはやめようと思いつつ、風を受けて眠る気持ちよさが好きでまだ窓を開けて寝ている梅村です。
私は住まいも仕事も同じ場所という生活を生まれてからずっと送っています。
父も、祖父もそうしていました。
昔は冠婚葬祭から家業に関することなどを一つの建物が担っていました。
多くの人にとってそれが普通だったのではないかと、時代劇など見るとそう思います。
我が家のかつての母屋はそんな記憶が残る建物でした。
先日、その建物をリノベーションしました。
事務所として利用しながらリノベーション工事をした建物をいつも見ていただける場所として、いろいろな方に立ち寄りやすい場所にしていく予定です。
〈現在〉
しばらく倉庫や賃貸として使っていた建物。時を経て雨漏り、シロアリなど多岐にわたる劣化があり、耐震、断熱など工事をして本当に安心快適になるのか?という不安がありました。
〈工事前〉
でも不思議なもので工事をしようと考えはじめて、社内で検討をスタートしてしばらくすると勉強する機会があったり
〈空調セミナーの様子 ミライの住宅 森さん〉
相談できる方との出会いがあったり
〈JIN設計工房 小森さん〉
そのおかげで現在のような形で建物をリノベーションすることができました。
完成してからお世話になった職人さんたちに見ていただいたのですが、
「いやぁ~、この完成形を工事に入ったときは誰も想像していなかったと思いますよ!」改めてそう言われると、工事をはじめて間もない頃の状況が目に浮かび
〈シロアリに食われた柱〉〈草の生えた屋根〉
皆さんのおかげで完成できたのです。と改めて感謝の気持ちが沸き上がってくるのでした。
この場所の名前を私たちは 暮らしと出逢う”はらっぱ”と名付けました。
色々な人が集まる、自然豊かな、そして何もない所から何かをつくるという思いを込めました。
9月の終わりに行ったマルシェにはたくさんの方々にお越しいただきました。
お越しいただいた方々、出店の皆さま本当にありがとうございました。
この場所から私たちの新しい挑戦がはじまります。
過去から受け継ぐもの
未来に私たちが残していけるもの
現代を生きる私たちができることは何なのかを考えて
一歩一歩進んでまいります。
どうぞよろしくお願いします。
はらっぱ
会社の敷地内にあるかつて住んでいた家は、この20年程は賃貸住宅として、または大きな物置として使っていました。「リフォームをして何かを展示したらどうかな?」という気軽な気持ちで考えたはずdふぇしたが、屋根と梁、柱のみ残して、新たに手を加え生まれ変わらせることに。
かつては蛇やネズミに出くわしたり、シロアリに食われていたり、一部雨漏りもあった家。
賃貸していた時は、「寒すぎて家の中で寝袋で寝ました」などの言葉をいただいたこともありました。
昔の建物は地震に弱いと思って計画を進めていましたが、シンプルな田の字の間取りだからこそ、強くするための力を伝えやすい構造でもあると気づく場面もありました。
窓の位置や屋根・庇など、抗えない自然とともに生きていくための知恵は活かしつつ、外と中の区切りはしっかりと…。
リノベーションモデルハウス兼事務所という形ででき上ったこの建物を、私たちは”はらっぱ”と名付けました。この場所がいろいろな人の集まる場所となったら嬉しいです。気軽にお越しいただける機会を増やしてまいります。どうぞよろしくお願いします。
祖父の想い
「ミシミシという音がして雨もりしたんだよ。」「草屋根の家はしなってとても中にいられる状態ではなく、家族9人で竹やぶの小屋に逃げたんだ。」
防災の意識が高まるこの時期、おばや私の父は怖かった記憶をまるで昨日のことのように話してくれます。1959年(昭和34年)9月伊勢湾台風のことです。
この地で独立した祖父は父親と一緒に大工として建築業を営んでいました。カッコよさよりも丈夫さを地で行く頑固者の祖父。丈夫な家の大切さを身に染みてわかっていたのかもしれません。
その後、草屋根の家から瓦屋根の家に建て替え、家族で暮らしていました。60年経った今年、その瓦屋根の家を屋根と柱だけを残して改修しました。
ひとつひとつ家を分解していると、なかなか外れない部分がありました。”ほぞ”という木と木を組み合わせる部分がしっかりとしていて、なかなか外れなかったのです。家が建って60年を経て気づく、祖父の想い・・・。
「建物は人よりも長生きするんだよ」と、祖父に改めて教えてもらった気がしています。