コラム
和風とは何か
もうすぐ完成のおうち。
お客様にお聞きしました。
「こちらの建物を建てたいと思われた決め手は何ですか?」
答えは
「和を感じたからです。」
格子や自然素材。なにより和風であることが決め手だったそうです。
もうすぐ完成の現場で格子の建具のお話を聞かれた際、
格子の一本一本を建具屋さんが手をかけ丁寧につくられていることに驚かれたそうでした。
職人さんにとってはそれは当たり前のことなのですが、今の時代に手作業で丁寧につくられるということ自体がもう貴重なのかも知れません。
そしてその集大成に和風住宅があるのだと思いました。
昔は当たり前だったことが特別な今。
和風に触れるということは、ひとつひとつの丁寧な職人さんの仕事に触れること。
そんな家づくりに携われることができて私も嬉しいです。
そんな大切な家の見学会をさせていただけて、ありがたいです。
植物好きのお客様
今、おうちを建てさせていただいているお客様は植物が大好きです。
地鎮祭でお邪魔した時には、”半夏生”という名前の植物をお庭から「持って行っていいですよ」とくださいました。
夏の到来を知らせるこの植物は、古来から季節を知らせるものとして親しまれてきたようでした。
名前も知らないこの植物。
花が咲くとき半分白くなるのだそうです。
半分化粧という意味かな?と思ったのですが、もっと由来は奥深くにあるのかも知れません。
そのお客様のお話にはいつも植物が出てきて、うちの事務所にいらしたときもイネ科の草が生えていると「このスース―したの。いいわね。」という具合です。
毎日ご近所を散歩されるときも、様々な草を見つけて興味深くご覧になっているご様子。
私も植物の名前を憶えたらまた散歩の違った楽しみ方ができるのかなと思っています。
家が完成したら、お庭をご自身で作られるとのこと。
出来上がりが楽しみですね。
またお話をお聞かせくださいね。
私がバイクに乗るということ
私はバイクの免許を40歳を過ぎてから取得しました。
若い頃、バイクにあこがれたことはありましたが、免許取得には至らず。
40歳過ぎたころ、うちの会社でガレージハウスを建てることが増えてきました。
ガレージハウスを建てられる方は、車好き、バイク好き、趣味多めな方が多い印象でした。
そして、そのすべての方々が本当に楽しそう。
車のこと、バイクのこと、趣味のこと。
それを話す時の皆さんの表情や様子は聞いているこちらも笑顔になってしまうものでした。
中でも、バイクで遠くまで旅をしたお話しや、本物のバイクを見る機会が増え私もその仲間に入れて欲しいと思うようになったのです。
生まれつき運動能力に自信がなかった私は、自動車学校の先生に「どうして免許をとろうと思ったの?」と聞かれ、転ぶと教習の先生以外が駆け寄ってきてくれる手のかかる生徒は免許を取得しました。
免許の取得ができたらバイクを買ってツーリングです。
危険運転(遅すぎ)の私をお客さん、職人さんみんなでいろいろなところに連れていってくれました。
今では高齢ドライバーの仲間入りですが、まだツーリングはいきたいと思っています。
バイクには何とも言えない自然の一体感、ツーリングに一緒に行った方との連帯感があります。
もう少し迷惑をかけながらバイクライフを楽しみたいと思っています。
次は秋かな?
※ガレージハウス見学会、開催中です♬
ぜひお気軽にお越しくださいね。
ジビエパーティー
先日社内でジビエパーティーを開催しました。
それもお昼に。
オホーツクジビエさんの商品の取り扱いをすることになり、すたっふみんなどんな味かわからなければいけないよね、ということで急ぎで開催したのです。
鹿生カナッペやジビエベーグルサンド
缶詰ディップをクラッカーに載せたり
そして鹿肉ジンギスカンと小原の美味しいお米で炊いたご飯
と、本当にパーティーをしている様でした。
忘れてはいけないうちの息子がつくってくれたカレーもあり盛りだくさんでした。
実は鹿肉は高たんぱく・低脂肪。
筋肉や体力づくりをしているアスリートの方にお勧めなのです。
最近オリンピックを賑わせてくれたりくりゅうのお二人が通われた中京大学も近く、どなたかの血となり肉となる日がきたらとワクワクしています。
北海道の野山を駆け巡った動物たちのジビエぜひご賞味ください。
台所仕事
今思えば、母の台所仕事は、常に戦いのようでした。
祖父母、父と母、私たち姉妹、大工のお弟子さんたち。畑仕事の合間に買い物をし、食事をつくるのは時間との戦い。
みんながお腹を空かせて待っているという状況はずいぶんと大変だったことでしょう。
友人は「裕子ちゃん家は、いつもそうめんかうどんだった」と言います。うちに遊びに来ると母が「食べていきん」と勧めてくれて、テレビのある居間でお昼を一緒に食べた思い出を語ってくれました。
人数が増えようがお構いなしに食事をつくってくれていた母。
それがあまりにあたりまえの光景だったので、そうめんやうどんが多かったけれどそれが不満だった記憶はありません。
献立よりたくさんの人で囲むにぎやかな食卓が貴重だったことに、今更ながら気づかされます。
大変だったであろう台所仕事は、母にかかればまるで息をするのと同じくらい自然なことに見えていました。
家族だけではない、人と人とのつながりも母は台所仕事でつくってくれていたのかな。
今の時代だからこそ、そんな台所仕事が必要なんじゃないかなと思うのです。
家は、台所から生まれる時間や人とのつながりによって育まれるものなのかもしれません。



